裁判員制度スタートに思う [行政]

全国初の裁判員による裁判が始まっている。もし、自分がその立場だったら・・・、なんて考えながら注目している人も多いだろう。

裁判員制度は平成16年に成立した「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」によって5年後の平成21年5月21日から始まったもので、国民に裁判員として刑事裁判に参加してもらい、被告人が有罪かどうか、有罪の場合どのような刑にするかを裁判官と一緒に決める制度だ。狙いとしては、国民が刑事裁判に参加することにより、裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法に対する国民の信頼の向上につながることが期待されている。

要は、現在の裁判は非常に専門的で解りにくく、やたらに時間がかかっている。世間知らずの頭でっかちの裁判官の判断が果たして正当なのか、という疑問も出始めている。そこで、裁判官の信頼性を補う意味で国民にも参加してもらおう、というのが制度設計のスタートだったと思う。

しかし、本職の裁判官にとっては、当然専門家としての自負があり、素人に何が解るのか、と思っているに違いない。穿った見方かも知れないが、裁判官が殆どお膳立てをして、争点を設定した上で、ほんの一部を裁判員に判断させ恰好をつける、そんな風に考えているのではないか。基本的には3日間の結審期間しかないのだから、色んなことを検討する時間はある訳ない。だから、裁判官が犯罪の全体像を裁判員に説明し、結論を誘導する流れになるだろう。たとえば、量刑の多寡を検討する程度のことと思っているのだろう。

ところが、実際にやってみると、裁判員が犯罪の全体像を把握するのは、裁判官の説明だけでは不十分、ということが徐々に解ってきた。単なる事件の背景だけでなく、被告の生い立ちや生活環境など把握しなければならないことがたくさんあるのだ。また、事件を起こした加害者が悪いに決まっているが、被害者側の落ち度は無かったのか、とか、市民が自分の生活と照らしてみて、考えさせられることは山ほどありそうだ。

ささいなことから隣人を殺した被告は、とんでもない大悪人のように見えるが、自暴自棄になっている時に、近くの人を憎しみのターゲットにしてしまう気持ちは、解らない訳でもない。しかし、それがどの程度の情状酌量の意味があるのかの判断も難しい。今回の事件はご近所トラブルが昂じて被告が一方的に被害者を殺害したような説明だったが、被告の主張では、被告は被害者に挑発され、生活保護の受給を馬鹿にされたと言う。しかし、被害者の声は聞けないため、事実は解らないままだ。

被告は殺害直後、自分の口座から4万円を下ろしたと言う。「警察に行くにあたって金が必要だから。差し入れしてくれる人がいないから自分で用意した」と哀しい説明をした。そんな孤独な状態のまま、刑務所で老いていく、罪は罪だが、何かやりきれない思いもある。

こういう一見、単純そうに見える事件でも、奥は深いのだ。素人の裁判員がほんの片手間に携わっていいのだろうか。一般市民が犯罪を裁く、なんておこがましいことではないだろうか。それも量刑を判断するだけならまだしも、有罪で死刑を宣告しなければならないような事案になれば、自分ならどうするだろう。やる以上は裁判官のほんの補助、とは思いたくないし、死刑を宣告するそんな責任も持てそうもない。困ったね。
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